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対談

ベイサイドスクエア皆生ホテル編 vol.1

完成後のその先を見つめるホテル

若旦那に託された老舗旅館の未来。

まず、中島社長のキャリアからお伺いします。なぜ旅館業を始められたのでしょうか?

中島社長
学校を卒業後、1年半ほど北海道で観光系の企業に就職したんですが、旅館『海潮園』の主である父(先代)の体調不良をきっかけに家業を継いだのが始まりです。

すぐに旅館業に慣れたのでしょうか?

中島社長
いやいや、とんでもない。 北海道にいた時期は週休二日制で時間もありましたから経理学校にも行って経理の勉強もしていたので、帰ってすぐに決算書を確認すると目も当てられない状態だったんです。これは大変だと思いました。
木下稔

いくつの時でしたっけ?

中島社長

24歳の時ですね。
父には経営よりむしろ旅館の木のかおりがして作家が籠るような情緒を大切にする人でした。

その代わり経営状態は悪かったんです。経営状態が悪いから修繕もできず、余計に客足が遠のく。そういう状況でしたから、両親に代わって資金の関係は自分が全部取り仕切ることになっていきます。

木下稔

24歳というと平成元年くらいでバブルの絶頂期ですね。

中島社長

そうです。
本業がおもわしくなかったので料理の方に活路を見出しました。数年料理の方でなんとか経営し、その後とある団体様の長期滞在をきっかけに経営は改善されていきました。

余談ですがこの時期は調理人が安定しませんでした。
景気のいい時はいい職人さんは引き抜きも激しく、ウチのような経営状態だとなかなか調理人が定着しないんです。仕方ないので2年半ほど自分が調理師免許を取って調理場に立ちました。(笑)
もう忙しくて忙しくて死ぬかと思いましたが、結果的に人件費削減につながり旅館が立ち直っていくきっかけにもなったんでしょうね。